• HOME
  • vol.2 企業として活動 − 株式会社ドリコム 取締役 廣瀬敏正





法人化しようと思い立ったきっかけは?

 もともとコアの4人に関してはベンチャーをやりたい、自分たちで会社を大きくしていきたいという気持ちがすごく強かったのですが、とは言え資本金も何もなかったわけですし、給料も支払えないという状況でした。そのため、学生団体で、アルバイトではないのですが手伝ってくれていた人達には、ベンチャーごっこをするサークルの一員として参加してもらって、給料が発生しない形態でやらざるを得なかったんですね。

 法人化するためにクリアしなければならなかったことの一つとして、資本金を集めなければなりませんでした。そこで、ビジネスプランを発表して優秀賞をとるとお金をいただけるという、京都のベンチャーコンテストというものがありましたので、発表を続けていました。結果的には、通算で270万ぐらいお金を頂くことができました。その270万円を原資にして資本金とし、有限会社を設立したのが、2001年の11月13日です。だから、有限会社をつくるまで、実質は1年半ぐらいになりますが、学生団体として泥んこにまみれていたという時期があります。
 有限会社をつくると、学生を応援するというコンソーシアムでは法人には場所を貸せないということになったので、新しい場所が必要になりました。そこで、京都駅の南側の十条という場所に木造の1軒屋を借りて、3人で共同生活を始めました。内藤と私ともう一人のメンバーでシェアをしながらの生活で、家と事務所が一体化していました。この3人で1軒屋に丸々2年間住み込んで、事業の立ち上げをしていました。まさに寝食を共にするというやつですね。5LDKと広かったのですが、築35年の1軒屋で、家賃は8万円。古いこともあって、ゴキブリは出るは、そのゴキブリを食べるネズミは走り回るは、そのネズミを追い掛け回す猫まで出てくるというようなところでした。これが、法人としてのドリコムの創業です。


2期目まで4名体制で、3期目に初めて外部から3名採用したと思いますが、どのような視点で採用をしたのでしょうか?

 有限会社をつくるまでは、学生向けのコミュニティサイトの運営をしていたのですが、当然まったく利益はあがっていませんでした。11月に有限会社をつくったあと、3月末の第1期目の決算では、売上が3万9,000円しか立たなくて、赤字が400万円近くになったんですね。「こりゃ、大変だ」ということになりました。ずっとこんなことをしていても、せっかく4人が集まったのにこのままではバラバラになってしまうし、当時それぞれリスクをとって休学してまでやっていたのですが、さすがにマズイと痛感しまして、有限会社になってからはきちんとしたビジネスをしないといけないという現実にぶつかりました。
 そのビジネスというのは何かと申しますと、大手代理店さんや電力会社さん等からいろんなシステム開発の発注を頂いて、エンジニアに開発をしてもらって納品をしていくという、いわゆる受託開発のビジネスです。2期目からコミュニティサイトの運営から受託開発のビジネスにシフトしていきました。それから2年ぐらい、の間、毎月600万円ぐらいずつの売上があがるようになってきて、1期目3万9,000円だった売上が2期目は7,000万円までになりました。これでようやく会社として血が流れ始めたと感じました。ビジネスが受託開発に変わっていましたので、システム開発ができる方をアサインしていました。エンジニアを中心とした採用で、ほとんどが学生だったのですが、社会人の方も徐々に採用していきまして、組織として立ち上がってきた感じを受けましたね。


そうは言っても今挙げていただいたような大手企業と取引をするのは簡単ではないと思いますが、どのようにして取引することができたのでしょうか?

 あいだに広告代理店さんが入っていたのですが、広告代理店さんがITに力を入れていかなければならないだろうということで、当時IT準備室を立ち上げていまして、そこの担当者の方から案件をご紹介頂いていました。その方は、たまたま京大の大学院に通われていまして、「周りに面白い会社はないか」ということになって、京大に縁のある当社だったりだとかゆめみさんだったりだとかが、広告代理店さんとお付き合いをするようになったのです。
 ただ、広告代理店さんとの仕事はかなり大変でした。代理店さんって企画をしていく仕事が多いので、企画書作りが大変でした。パワーポイントで作成するのですが、当時の私達の作った企画書は本当にひどいものでした。でも、今考えると、広告代理店さんと2年ぐらいずっとお仕事をさせて頂いたので、その仕事を通して、どうやってお客様のニーズをひきだして、それに対してどのような企画を作って、どうプレゼンしていくのかということが、能力としてすごく身につきました。今の当社はブログというソリューションを持っているのですが、企画型・提案型の営業スタイルを取っています。このスタイルは、広告代理店さんとのお付き合いから芽生えてきたということが言えると思います。


今では役員4名の方の役割がきれいに分担されていますが、創業当時はどのようにしていたのでしょうか?

 4人コアだと言ったのですが、最初の頃はコミットの度合いという意味では内藤と私がかなりコアと言えるものでした。当時は、内藤と私の2人でほぼやっていたようなものだったのですが、旦那さんと奥さんのような関係と一緒で、内藤のどういったところを伸ばしていってあげたらいいのかなといつも考えていました。
 やっぱり内藤の方が企画するところであったりとか、ネットワークを築いていく部分であったりとか、お客様の懐に入っていくところがうまいんですね。よく中小企業の社長さんの仕事って銀行さんとお付き合いすることだったり、資金繰りをやりくりすることだったりって言われていますが、私自身は本来そうしたことは社長の仕事ではないと思っていました。そのため、いわゆる組織を作るところだとか、従業員を集めてくるところとか、銀行さんとやり取りをするところとかを、全部私の方が担うようにしました。そうすることで内藤の良さを最大限に引き出し、内藤には事業を創っていくところだとか、対外折衝して営業するところだとかを担ってもらうように切り分けたんです。当時は、内藤がCEOで、私がCOOとして動いていました。当時から、うまくお互いの個性を発揮しながら、相互に補完し合える関係ができていました。


--------------------【廣瀬 敏正氏プロフィール】--------------------
1979年 5月10日 岐阜県に生まれる
1998年 4月 同志社大学経済学部入学
2000年 8月 学生団体ドリコムに参加
2001年 11月 ドリコムを法人化するとともに、取締役に就任
2005年 1月 株式会社ドリコムテック監査役就任
2006年 2月 株式会社ドリコムが東証マザーズにIPOを果たす。
       同社の牽引役として事業推進に大きな役割を果たしている。

株式会社ドリコム

-----------------------------------------------------------


インタビューINDEX
vol.1 「ドリコム」が誕生するまで
vol.2 企業として活動
vol.3 IPOまでの道のり
vol.4 選択という決断
vol.5 ドリコムらしさと成長戦略

インタビューtopへ