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株式会社フォー・ワン・ファースト

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現在、井上さんはシステム系の事業会社であるフォー・ワン・ファーストのCOOとして、事業統括および開発部門を担当していらっしゃいますが、以前はどのような仕事をされていたのでしょうか?

 実は、私の社会人としてのスタートはシステム系の会社ではなくて、はじめは一部上場の大手自動車部品メーカーで、いわゆる設備をつくるような生産技術の仕事に携わっていました。
 学生時代に情報システムについて学んでいたこともあって、システム関連の仕事を希望して入社したのですが、適性検査なるものによって、私に適した部署は生産技術だと判断されたわけです。確かに自分に合っているなと感じていましたし、そういう経緯で当時の仲間たちと設備生産の仕事をしていました。


 その頃、1994年から95年のことですが、ちょうど「Windowsが出る」という話が世間を賑わせて、システムを学んだ身として興味を持って動向をみていました。今のように当たり前にOSが機能していてという時代では無かったので、結構衝撃を受けましたね。それがきっかけで、プログラミングやシステムをつくることに改めて興味が沸いてきて、社内ネットワークのサーバー管理者になったりしながら、社内システムに関係する仕事をするようになっていきました。
 現場では責任者やマネージャークラスと接点があったので、「こんなシステムはできないか」といろいろ相談を受けていました。そういう流れでシステム改善に興味を持ちはじめて、自分で固めた仕様を試しに掲示板に投げてみたんですよ。そうしたら、まさにイメージした通りに作ってくれる人が現れて。それで私の運命が変ったというか、大きな刺激を受けて、システム開発の仕事にどんどん移行していきました。システム系の部署にいかなくても、自分でそういう仕事を開拓していけるものだなと思って、どんどん突き進んでいました。ところが、会社として全社ネットワークシステムの統合をしようという流れになりまして、私が現場レベルで作ったシステムと会社側のシステムとが、みごとに競合したわけです。隣の事業部では会社側のシステムを利用していましたが、私が所属していた事業部では現場の声をもとに改善を重ねていたシステムの方が圧倒的に支持されていましたので、会 社のシステムを導入しなかったんです。そのことがきっかけで、上層部とつながるようになってチャンスが巡ってきました。
 それで、新しい全社システムをお前に任せようということになって、「ひとり情報室」みたいな形でやり始めて、外部のシステムのプロフェッショナルと出会うようになりました。初めてプロの人たちと接して、プロと自分には大きな違いがあったことを感じました。

 ちょうどその頃、たまたま身内の知人で、プロとして活躍しているエンジニアがいるということで、話しだけでも聞いてみたいと思って会ってみたら、すごく熱い人だったんです。話しているうちに意気投合して、いずれは一緒にやりたいなと思いました。それが、前田でした。自分にとってはすごく大きなきっかけになって、プロのエンジニアとしてやっていくことを決意しました。そのときは地方にいたのですが、東京の方が市場が大きいので、面白い仕事が多いだろうと思って上京したわけです。そのタイミングで、前田と一緒にやろうっていう話もあったんですけど、それまで本格的にシステム開発に携わったことがなかったので、すぐに一緒に仕事するのはきついだろうと思って、あるSI企業に就職しました。98年のことです。それから3年と期間を決めて、腕を磨くことにしたんです。



プロフェッショナルとの違いはどんなところで感じたのでしょうか?

 システム開発を専業でやっている人たちというのは、どんな業種でも多種多様に適応していかなければならないですよね。社内システムだと甘えがでるんですよ。例えば、一番印象的だったのが、ソースコードを一行間違えると、東証のシステムが止まるとか、5万人の首が飛ぶとか、人が死ぬとかそういう緊迫感の中でやっている。あと、プロジェクトの大きさも違う。200名、300名を統率していくプロジェクトのリーダーとか、一番上流にいて本当のROIを考えたシステムの提案ができる点とか。そこが、アウトソーサーとして飯を食っているプロと、社内のシステム担当であることの大きな差でしょうね。


前田さんの事業に参画する決意をしたきっかけはどのようなことでしょうか?

 実は、前田とは2000年くらいに一度仕事をする機会がありました。その時、僕は現場でプロジェクトマネージャーとしてやっていたんですが、前田の持っていた2つの開発案件が大変なことになっていて、手伝いに行ったわけです。行ってみると、現場が手に負えない様子で前田の顔は真っ青になっていました。このときは、「果たして将来一緒に事業をやっていけるんだろうか?」と、狭い視点で判断をしちゃって、少し距離を置くことがありました。
  加えて、自分自身が、月に400時間、6ヶ月連続で現場に入り続けて開発に携わっていたりして、そもそもソフトハウス業界に対していろいろ疑問をもっていました。ほかにも、政治的な絡みがあるんでしょうが、ある官庁では使われないシステムを僕らの税金で作っていたりして、これは意味ないし、やるせないなと感じて、業界自体を疑った時期がありました。

 そういう背景がある中、個人としては起業の準備をしていて、起業家セミナーに行ったりしていたんです。そのときに、たまたま身内が新しい事業をやるということで、立ち上げから参画することになりました。そのため、一旦前田とは合流せずに、身内と事業をやり始めました。今思えば、このときは起業したいだけであって、目的は何もなかったんですよ。起業というのは起業することが大事じゃなくて、社会に対する意義とか自分に対するコミットをもってやらないときついんですね。当時は、いろんなことをやってみたんですが、結局結果がでなくて、10ヶ月くらいの間ぼろぼろになっていました。
 事業としてはマッサージサロンを展開していましたが、途中で意識が違うところに向かっていることに気がついたんです。なんだかんだ言って、システム系の仕事ばっかりしていました。社内のネットワーク整備とかHPの直しとかですね。僕のやりたいことはなんだろうと考えて、とりあえず身を引いて、ゼロスタートでやろうかと考えました。ちょうどその頃、前田と話す機会がありました。前田が創業する時期だったのですが、凹んでいた自分をいろいろ励ましてくれて。いろいろな話をする中で、以前私が前田のヘルプに行った頃の話もして、「あの時は僕も判断能力が鈍っていたし、あれがすべてだと思わないでくれ」と言っていました。そういう話をしているうちに一緒にやってみないかということで、もとの鞘にもどったような感じで再スタートしました。



立ち上げの頃の様子はどのようなものでしたか?

 前田が個人事業としてやっていたときから雇っていたスタッフが7,8名いましたので、そのまま引き継いで法人化し、フォー・ワン・ファーストとしてスタートしました。
 最初、自由が丘のアジアン雑貨やインテリアなどが数件入っているビルの3階でスタートして、「オフィスも広くなったなぁ」と思っていたら、いきなり工事が始まったんですね。パーテーションが張られて、「ここから半分はインテリアにする」ということを前田が突然言いだしたものですから、みんなが驚いていました。結局オフィスは前より狭くなってしまい、3分の2がインテリアショップという変な光景でした。



その時から現在展開するフォー・ワン・ファーストの事業をやっていたのですか?

 インテリアショップをやりながら、現在と同じようなシステム開発をやっていました。インパクトはありますよね。インテリアショップをやっているシステム屋というのは。逆に始めはそれぐらいしか言いようがなかったんですが・・・。
 ショップ運営に関しては、まったくインテリア業界を知らないところからのスタートでしたので非常に大変でした。看板作って、みんなで協力していろんなショップをまわったり、電話をかけたりして、取引してくれとか、家具の並べ方を勉強するということもやっていました。そもそも全く計画性がなくて、商材のセレクトやターゲットが全然決まっていなかったので、インテリアショップなのに赤ちゃんグッズが置いてあったりして、ハチャメチャな状況でしたね。



どうしてインテリアショップをやるということになったのですか?

 元々、ユーザーサイドに立ったシステム開発をやっていこうという想いを持っていました。結構アウトソーサーとしてだけやろうとすると限界があって、実際にリアルビジネスをやっていける力を会社自身がもたないと、ユーザーサイドに立つことができないのかなと思ったんですね。
 ソフトウェアというのはあくまで商売の道具じゃないですか。商売を理解して、商売の流れをちゃんと組み立てていく能力がないと、アウトソースしてもうまくいかないだろうと考えたんです。きちんとお客様の立場が分かるアウトソース屋になろうという意思表示がインテリアショップというわけです。



サービスはどのように立ち上がっていったのですか?

 最初は、インテリアにお金をつっこみすぎて、実は金がやばいということが発覚して、誰でも良いから街でナンパしてきて、3日間でエンジニアにして出そうとか、そういうおかしなことを言っていた時期もありましたが、出向型のビジネスで生計を立てていました。いわゆる受託型のソフトハウスということでウェブ系に特化していき、JavaとかPHP関連の仕事を増やしていきました。

 会社としての一つのターニングポイントは、開発したパッケージソフトのソースコードをオープンソースとして公開したことです。2003年のことでしたが、日本では先駆けだったためか、メディアにいろいろ取り上げて頂きました。よく聞かれたのは「どこで儲けるんですか」ということですね。今は商用版に切り替えてライセンスビジネスをしたり、サポートビジネスをしたりとか、いろいろありますけど、私たちはテストマーケティングやブランディングを意識して公開したので、儲けの意識はあまりなかったですね。けれど、このオープンソースのおかげで、外資のオープンソースカンパニーとのつながりができ、一段高いレイヤーでの仕事を頂くようになりました。これが一つの起点ですね。


--------------------【井上 晋助氏プロフィール】--------------------
1972年生まれ 岡山県出身
1993年    国立津山工業高等専門学校 情報工学科卒業
         カヤバ工業株式会社(現 KYB株式会社)入社
         本社採用 社内情報システム関連のシステムエンジニア従事
         社内工数実績システム、生産管理システム開発にて活躍
1998年    株式会社ハイマックス入社
         ソリューション事業部のシステムエンジニアとして活躍
2001年    知人数名とベンチャー企業を立ち上げ、同社取締役就任
2002年    株式会社フォー・ワン・ファーストに合流
2003年    同社 取締役 最高執行責任者(COO)に就任
          現在に至る

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